プロローグ
私は26歳の時にビジネスでアメリカに赴任し、シカゴとLAにて延べ15年間住んでいました。今、振り返ると非常に波瀾万丈の経験であったと思います。なかなか普通のサラリーマンには経験できないことですので、その時の経験を紹介します。
これからアメリカやその他の国へ海外赴任される方々への参考に少しでもなればと思います。
私は幸いにも20才後半から海外を経験したことで、その後の人生に大きなプラスとなりました。
アメリカには様々な国を母国とする人々が集まっています。まさに人種のるつぼです。
生活面での文化、風習の違い、仕事面での考え方の違い当を肌身で知ることができました。
その貴重な経験を少しづつ紹介していきたいと思います。
第1章 アメリカへの赴任
1、ほとんど経験無しの若者
技術系の大学を卒業して現在の会社に機械設計者として就職。3年間設計部門に所属し、先輩から基本的な設計を学びました。
その後、アメリカのシカゴに子会社を設立したので出向するように辞令を受け、1989年2月にシカゴへ赴任しました。当時、独身です。
元々、入社動機が海外で仕事をしてみたいということで、海外に拠点を持っている会社を選びました。
入社試験での面接の時にもそのことをしっかり伝えていましたので、会社側も覚えていてくれて私を人選してくれたのかも知れません。
英会話のレベルは自己紹介で自身の名前を言うのがやっとというおそまつな感じでした。不安はありましたが、海外を経験したいという気持ちが強く、言葉はなんとかなるだろうとかなり楽観的に考えていました。
2、ビザ申請 - 待っている間は憂鬱
アメリカで仕事をするためにはビザが必要です。ビザ申請をしてから約6ヶ月手続きに時間がかかりました。ビザ取得できるまでの間、かなりの時間がありましたので、時間とともに不安な気持ちになったり、周囲からは、いついくの?という質問を受ける度に憂鬱な気分になったことを覚えています。
アメリカ出発までの日本での残り僅かな時間を英語を勉強したり、友達と遊んだりして過ごしました。
ビザ取得できるまでの間、かなりの時間がありましたので、時間とともに不安な気持ちになったり、周囲からは、いついくの?という質問を受ける度に憂鬱な気分になったことを覚えています。
アメリカ出発までの日本での残り僅かな時間を英語を勉強したり、友達と遊んだりして過ごしました。
3、いざアメリカへ出発
いよいよ、アメリカへ出発日がきました。人事部門の課長が空港まで見送りに来てくれました。
振り返るとこの人事課長が見送りに来てくれたことは非常に有り難いことであったと思います。
現在の会社では、おそらく海外赴任する人を空港までは見送りには行かないと思います。
当時は携帯電話も無い時代ですので、若い人間を海外に一人で送り出すには会社としても相当な決断が必要であったと思いますし、せめて出発は激励して送り出してあげたいという人情があったのだと思います。
まだそういう時代であったのだと思います。
さあ、次はいよいよアメリカでの生活スタートです。第2章にて紹介します。
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